近世の大坂における知識人社会の交流実態を明らかにするため、平成13年度は前年度に引き続き、木村蒹葭堂関係史料(著述・蔵書・書状)の収集、検討を行った。このうち書状については、蒹葭堂が出した書状および蒹葭堂への来簡の内容から、どのような人々とどのような交流があったかを個別に検討していった。書状の残存状況の問題があるが、内容の傾向としては、蒹葭堂が最も興味を持っていた本草・物産関係の諸情報に関するやりとりが最も多く、次いで書画の贈答や斡旋に関するもの、書籍の貸借に関わるものが続く。主にアジア地域のモノや知識が対象となっているが、オランダ経由でもたらされたと思われるものも含まれる。書状に見える交流相手としては儒者や医者が多いが、専門性の高い知識の供給源として、蒹葭堂が彼らとの交流を重視していたことをうかがわせる。藩役人の書状からは、諸産物の入手に関わって彼らが大きな役割を持っていたこともわかる。また、交流範囲も地域的に全国に広がっており、蒹葭堂と同好の人々の広い存在が推察された。さらに、『蒹葭堂日記』に登場する人物は、名前のみしか分からない場合が多いのであるが、書状の存在によってその人物像が明らかになるとともに、蒹葭堂とのつながりが具体的にどのようなものであったのかを知りうる場合も出てきた。書状の解読作業と平行して、『蒹葭堂日記』のデータベース入力および蒹葭堂の蔵書目録である『蒹葭堂書目』『昌平書目』のデータベース入力も行っており、こうした成果を援用しながら蒹葭堂を中心とした知識人社会のありようを考察していった。
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