本年度は7月と3月の2度にわたり、京都市上京区の大将軍八神社において「皆川家旧蔵資料」の調査を行なった。同資料は宮内庁書陵部に保管されている土御門家文書、京都府立総合資料館に所蔵される若杉家文書と関連するもので、特に若杉家文書とは近世後期の陰陽寮の実態、近代初期の陰陽寮系陰陽道の動向を知る上で相互補完的な関係にある。 本年度の調査では、「皆川家旧蔵資料」のおよそ180点の撮影を済ませ、以前に撮影した約250点と合わせ、およそ430点の撮影を終えたことになる。これは予備調査の結果として本研究代表者が仮目録カード化した450点のうちの約9割の撮影の終了を意味するが、同時に今回新規な資料が出来しており、総数はさらに50点ほど増える見込みである。 本年度撮影した資料のうち特記すべきは、(1)『安政二年御遷幸供奉・御教供御勧修仮御日記』、(2)諸種の祭儀次第、(3)『玄象初学須知抄』である。(1)は孝明天皇の行幸に陰陽寮官として供奉した皆川亀年(ながとし)による記録であるが、従来、天皇の行幸に際し陰陽寮官がなにを行なったのか当事者が具体的に記した資料がほとんどなかったために、近世後期の陰陽寮の朝廷における機能を知るだけではなく、行幸に際しての陰陽寮の役割を知る上でも重要な資料と言える。(2)は「大殿祭」「天曹地府祭」「三科津祓」「中臣祓」「巳日祓」「名越祓」「遷宮」など諸祭の次第であり、その存在は知られていても実際の次第の知られなかった祭儀の具体像が知られるという点できわめて重要である。また(3)は室町後期、16世紀中期の写本と推定される日本編纂の天文道書で、内容は天文現象に関する諸書の抜書であるが、古代・中世を通じて天文道に関する日本独自の資料が占例集である『安倍泰親朝臣記』や『天文要録』の抄本である『天文要抄』程度しかないことを考えると、たいへんに貴重な資料が出来したとすることができる。
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