本年度は、前漢代特有の親族観念に関して資料の収集と整理を行った。その結果、以下の点を明らかにすることができた。 (1)前漢代においては皇太后の異父同母兄弟が同姓兄弟と同様に封侯されている。これは、異父同毋兄弟姉妹間の血縁的な一体感が相当に強固であったこと、即ち「母」を基点とした係累意識の強さを示している。また、該期間にあっては「子從母姓」(子の通称に母の姓を用いる)という呼称法も行われていた。以上の点に基づくと、当該社会では母と子の間に強い絆意識が存在していたと理解しえる。 (2)「呂平」(高祖皇后呂氏の姉の子)や淳于長(元帝皇后王子姉の子)の扱いをみると、この両名はそれぞれ呂氏・王氏(即ち母の生族)の族員と位置づけられていた可能性が高い。しかも、当該期の「九族」解釈は、出家女性とその子を「族」内に含む今文学的な理解が主流であった。つまり、嫁女の子は母族の一員であると当時認識されていたのである。 更に、如上の親族観念(以下「母の原理」と称する)が当該社会のあり方に及ぼした影響に関しても論及を試みた。 (3)漢初以来、外戚(母族)は皇帝を政治的に保翼する立場にあった。かかる外戚保翼の慣行は、前漢後半期以降における政治構造の変化に伴って、外戚当権なる執政形態へと展開していく。こうした外戚の政治参与を当然視させていたのが、上述の「母の原理」に他ならないのである。
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