本研究では、日本と朝鮮半島の鉛釉陶器の比較を通じて、古代日韓交流史の一端を解明し、今後のアジア史的な陶磁器研究の進展に寄与することを目指した。 本年度は、いまだ集成作業を初め基礎的な研究も十分にはなされていない朝鮮半島産緑釉陶器の実態解明に、まず着手した。そのための第1の作業として、日本あるいは韓国内出土の朝鮮半島産緑釉陶器に関する報告書・図録などの文献収集を重点的に行ない、実見調査も併行して試みた。 それにより、文献類についてはかなり網羅的な収集を終え、朝鮮半島ではどのような製品が生産されていたかについて、大枠の見通しを得た。また地域的にも、従来重視されがちであった統一新羅だけでなく、古新羅や百済、高句麗や渤海などでの生産状況も想定された。その結果を記すと、以下のようになる。 朝鮮半島の鉛釉陶器の生産量としては、発掘例の多寡も関係するが、日本と比較して必ずしも多くはなく、三彩といった多色の釉薬を使う例がきわめて稀であることも明らかになった。中国では三彩が盛行し、日本もそれに追随した動きがあるのに対し、朝鮮半島では印花文というスタンプ装飾の盛行に比して、色彩装飾が乏しいことになる。 また、朝鮮半島の鉛釉陶器は、特殊品として土製の仏像に鉛釉を施す例などはあるが、基本的に無釉の陶質土器と形態・技術において差異は認められないことがより明瞭になった。ということは、鉛釉陶器の素地と無釉の陶質土器とは、その生産体制において分化していないことになる。日本においても、8世紀段階までは同様であるが、9世紀より両者は分岐し、鉛釉陶器の生産量が増加する。9世紀以降、両地域の差異が顕著になるものといえる。 次年度には、実見調査をさらに加え、より細かな相互比較を行ない、歴史的特質を明らかにしたい。
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