初期近代イングランドの身体表象の政治的機能について、とくに当該年度は、演劇やパンフレットにおける娼婦表象の政治的な意味について考察した。エリザベス朝からジェイムズ朝にかけての演劇や「悪漢文学」と総称されるパンフレットでは、当時ロンドンにおいて娼婦がさまざまな秩序を攪乱する性犯罪者として取り締まられていたことを前提にして、娼婦の更生や改心の(不)可能性が繰り返しドラマ化され、ロンドンという共同体のボディ・ポリティックにとって「病める身体」である娼婦をどのように排除し、封じ込めるかが政治的な課題であったことがわかる。ところが、内乱期以降、娼婦表象の政治的な意味は大きく変化する。王政復古期には、娼婦は、エロティックな文学、すなわちポルノグラフィの恰好の題材となるのだが、それは単に男性読者の性的欲望を刺激するために書かれているだけでなく、性的な放蕩がチャールズ二世の宮廷文化と否応なく結びついたために、性的放蕩のポルノグラフィカルな記述そのものが国王やその宮廷にたいする批判や諷刺という意味合いを持つようになった。議会派(ホイッグ)と王党派(トーリー)の党派党争が激化した、教皇主義陰謀から王位継承排除危機の時期にはこの傾向が顕著になり、劇作家やパンフレット作家は、敵対する党派を性的放蕩や偽善と結びつけ貶めるために、娼婦や売春というフィギュールを利用するようになったのである。この研究成果は、「ナイト・ウォーカーの行方--17世紀ロンドンにおける娼婦の表象」として、圓月勝博・末廣幹編、『近代イギリス表象文化アーカイヴ(1)』(仮称、ありな書房、2001年5月刊行予定)において発表する。
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