クリストファー・ナッシュのいう「ネオコスモス的思考」(19世紀リアリズムにたいする、主題面からの反省)に基づく作品の例として、大きくふたつのグループのポストリアリスト小説を詩学的に検討した。 ある程度予測していたことであるが、日本の作品を含む多くのリアリズム小説・非リアリズム小説と比較検討したみると、19世紀に発達した小説(リアリズム小説、歴史小説、幻想小説)と20世紀に発達した小説(歴史記述メタフィクション、異世界小説)においては、物語内事象を説明する因果律と、固有名現実素(とくに実在の地名・人名・事件)との連動のしかたが、後者においてはるかに自由であることが判明した。 すなわち、19世紀的小説においては、物語世界の枠組についての選択の余地が少なく、さらに幻想小説に見られるように、超自然現象は架空の人物の私的体験に還元されてしまう。これにたいし、現代作家においては、まず物語世界の枠組自体がさまざまな選択肢を持っている。リアリズム的なものを受継ぐ(トゥルニエ、ピンチョン)、架空地理を構築する(グラック)、現実の地理・歴史を変歪する(モディアノ、ナボコフ)、現実・架空を問わず地名の使用を避ける(ロブ=グリエ)、時間・空間の概念を相対化するような純思弁的世界を想定する(クノー、ルーボー、村上春樹)など。また歴史上の事象を超自然現象として解釈し直す伝奇小説的方法を通じて、歴史自体を反省する傾向も多く見られる。 最大の問題は、物語命題中の「実際」と「非実際」との関係(とくに虚実関係)の序列であることが判明してきた。ネオコスモス的思考によって書かれた多くの作品が、じつはナッシュのいうもうひとつのポストリアリスト小説の思考法である「アンチコスモス的思考」(19世紀リアリズムにたいする、物語構造面からの反省)に回収される側面を持っているからである。物語命題を読者に伝達する語り自体が、ブースの言う「信頼できない語り」の能力を最大限発揮したものとなっているケースが多く、この問題は現在科学研究費申請中の「『信頼できない語り』の研究」にそのまま受継がれなければならない。
|