中世に西洋古典文献を筆写伝承したのは、東西地中海世界の主として聖職者や修道士たちであった。彼らが日々の聖務の中で、一見キリストとは無関係に見える異教古典文献の筆写に携わり、後の西洋ルネッサンスを準備したということの意義を考えるのが本研究の目的であった。現段階での研究成果をまとめておく。(1)東方のイコン「復活」に象徴されるように、キリスト以前の人々が、差別なくキリストの復活に与って生命を取り戻すという、キリストの終末論的復活・再臨観に基づいた理解があったこと。(2)中世(特に東方)キリスト教典礼形式の主要なものの一つ「聖ヨハネス・クリュソストモス典礼」は叙上のような終末論的性格を強く帯びたものであり、その中の「ケルビムの歌」に象徴されるように、神人キリストの聖体のうちに万象が秘められているために、すべてが奉神礼(特に聖体礼儀)のうちに集約され、この世のあらゆる人知の結晶も、典礼の中で地上界から天上界に移され聖化されて集約・統一を果たすということ。これは「出エジプトの原則」に拠るものでもある。従って具体的には、例えば哲学文献は存在論として、また特にプラトンのイデア論と結合して、神すなわち「在る方」とこの世の関係を説明するのに役立つ。弁論術はもちろん説教に直接的に役立つ(ナジアンゾスのグレゴリオスなどは「クリスティアン・デモステネス」と呼ばれた)。また歴史作品については、旧約世界の理解に役立つヘロドトスに始まり、聖書史の経過を把握するのに有益である。また詩文学は、上記のような典礼の歌唱部と関わりを持ち、美意識を高揚させるのに役立ち、かつ民族の遺産としてその優れた面が最も集約的に顕れたものである。こういった諸分野の位置づけにより、中世の修道士たちは古典の文献筆写にもそれぞれに固有の意義を与えて携わったと考えられる。
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