本年度は、明治の終わりから大正にかけて、日本を訪れた欧米外国人劇団のシェイクスピア上演が、日本の知識人、とくに坪内逍遥に与えた影響を研究した。坪内が、1913、4年ごろに書いたと思われる、1891年に来日したミルン一座と、1912年に来日したアラン・ウィルキー一座のシェイクスピア上演についての批評をもとに、日本における欧米人劇団によるシェイクスピア上演の影響を探った。そして、この批評をもとに、坪内が当時考えていた「正当な」シェイクスピア上演について考察した。また、当時の日本の知識人にとって、シェイクスピアは、西洋文化の象徴であり、彼らのシェイクスピアに対する姿勢は、すなわち西洋文化および社会に対する姿勢とみなすことができる。興味深い事に、1891年のミルン一座と、1912年のウィルキー一座のシェイクスピア上演に対する坪内のスタンスは異なっており、これは、この二つの劇団のシェイクスピア上演の間に、日本が日清・日露戦争を経験し、韓国、台湾を併合した結果、西洋人ではない「他者」を他のアジア人に見出したことと深く関係があると思われれる。1890年代に見られた坪内の盲目的なシェイクスピア崇拝の姿勢は、こうした歴史的背景のなかで徐々に変遷していったのである。この研究は、"Shakespeare and National Identity-Shoyo TSUBOUCHI and his"authentic"Shakespearean Production in Japan"と題して、2001年4月下旬、スペインで行われるシェイクスピア国際学会で発表する事になっている。
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