研究概要 |
本研究は、明治立憲制の確立を国際的な思想交流の視座のうえで把握し直すことを目的としてる。その際に方法論として重視しているのが、西欧立憲思想のわが国への導入を担った重要な個別的人物像に注目して、彼らが織りなす人格的コンタクトの具体的諸相を再構成すること、そしてそのようなパーソナルなネットワークの検証を通じて、近代日本の国家制度が立ち現れていく過程を考察するという手法である。このような関心から、本年度は特に、帝国大学の初代政治学教授としてわが国におけるドイツ国家学継受の重要な担い手となったカール・ラートゲン(Karl Rathgen,1856-1912)を取り上げ、関連資料の発掘とその解読、ならびにそれらを通じてのラートゲンによるわが国への国家学伝播の歴史的意義の解明に努めた。資料調査はドイツのハンブルク国家公文書館、ライプチヒ民族学博物館、そしてラートゲン令孫バルトルト・ヴィッテ博士宅において行われ、ラートゲン滞日時の貴重な資料の数々を入手することができた。また日本国内においても、国立国会図書館憲政資料室所蔵『阪谷芳郎文書』や東京大学大学史資料室所蔵『文部省往復』、また外交資料館所蔵の『御雇い外国人雇用経緯』から関連資料を渉猟した。これらの資料を駆使して、ラートゲンと来るべき明治立憲国家の行政を担う若き国家エリートとの親交が明るみとされた。ここでの交流がひとつの重要なベースとなって、1886年に帝国大学法科大学内に国家学会が設立され、明治国家体制を支える知の基盤として機能していくことになる。この点の詳細な論証は、近く公表予定の「帝国大学体制と御雇い教師カール・ラートゲン-ドイツ国家学の伝道-」 (『人文学報』84号)を参照されたい。
|