1.イギリスにおける公的扶助法制:イギリスにおける伝統的な公的扶助法制は救貧法(Poor Law)に基づくものであったが、これは国家による恩恵という性格が色濃くかつ受給者が救済に値する貧民か否かの道徳的判断を伴うものであった。これに対して1900年代から1940年代までの老齢年金及び失業年金制度は、いわば公的扶助に対するある種の「権利性」を承認し、貧困に対する社会的責任の観念を生んだと一般に考えられている。しかし上記の世紀転換期以後のイギリス公的扶助法制も、受給者の勤勉および節倹を明示的ないしは黙示的に要件としていることが各史料からみてとることができ、そこからはむしろ自助の精神に立脚する個人の自律の確立が、この時期のイギリス公的扶助法制における最大の目標であったと見て取ることができる。2.アメリカにおける公的扶助法制の伝統:アメリカにおける公的扶助法制は植民地時代から基本的にはイギリスの法制を踏襲するものであった。従って各地方単位の救貧行政と、貧民に対する道徳的判断が扶助の付与に伴うことと、他方で怠惰な浮浪者に対する処罰が公的扶助法制の枠内で(あるいはそれに密接に関連して)行われているのが全般的な特徴である。マサチューセッツおよびノース・カロライナ両州の公的扶助に関しては、ほぼイギリスと同様に19世紀半ば以降に産業化に伴う社会構造の変化に対応して救貧行政の変遷がみられるが、両州の公的扶助法制はイギリスと比較してより厳格、ないしはより個人主義的な傾向にあったとみてとることができる。そこにはアメリカ・プロテスタンティズムの宗教観と、植民地時代以来の共同体自治の伝統と、アメリカにおける自由主義の根幹にある古典的法思想の影響があると考えることができる。
|