アメリカ合衆国における貧民救済は、植民地時代以来20世紀に至るまで、基本的にはイングランドの救貧制度に倣って行われた。全般的にみてアメリカ合衆国ではイングランド以上に個人の慎慮と節倹が重視されており、それゆえに労働能力のある成人の貧困については個人の責任に帰されがちなことから関心が低く、住民および行政当局の関心はいかに外来者が居住者となって地区の負担になることを防止するかに向けられ、公的な貧民救済は常に抑制されるべきものと考えられていた。本件研究では、アメリカ合衆国における貧民救済のうち、マサチューセッツにおける17世紀から19世紀なかばまでの貧民救済についてイングランドの貧民救済と比較検討しつつ、その救貧行政の背後にある貧民観・貧困観の一端を明らかにしようと試みた。マサチューセッツにおける救貧行政については、行政機構や実際の貧民救済方法に関して、イングランドにおける救貧行政と類似している点が少なくないが、両者のあいだで最も異なる点は、定住権のありかたと、それに関連して外来者(移民)に対する処遇のありかたである。イングランドにおいて教区による貧民救済の根拠となる定住権は1662年法およびその後の判例によって規定されているが、マサチューセッツにおける定住権付与の条件は、イングランド法と比較してきわめて厳格であった。定住権付与の条件が厳格であったことは、外来者に対して排他的であることを意味するが、マサチューセッツにおいては、タウンの負担になりそうな者が来訪するときには保証金の提供を求めるなど、外来者に対する管理がきわめて徹底していた。このような貧民救済にみられる排他性は、イングランド法においてとりわけ重要視される財政負担という問題のみから起因するものというよりも、むしろアメリカ社会における共同体の特質そのものに起因するところが少ないと考えられる。
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