第2次世界大戦直後の起草当時のガット6条のもとでは、ダンピング防止税の二面性に対応し、非関税障壁となりうるダンピング防止税の濫用を抑えることが図られると同時に、「異常かつ一時的な競争」を防止するという一定の機能がダンピング防止税に認められていた。ガットは戦後自由貿易体制を構築するという米国の理想主義的な構想に基づいていたこと、ダンピング防止税制度の理論的根拠として異常競争防止説という当時の自由貿易主義的経済学の学説があったこと、そして、圧倒的な経済力を持つ米国が自国産業の輸出市場を確保するために非関税障壁の削減・撤廃を進めようとしていたこと、この3つの要因が重なり合って、非関税障壁としてのダンピング防止税に限定的な機能が認められたのである。しかし、これら3つの要因については、1960年代末を境に大きな変化が生じた。米国内では保護貿易主義が高揚し、米国ダンピング防止税法上、国際的価格差別でないコスト割れ販売にもダンピング防止税の対象が拡大し、さらに国内産業への損害が程度の低いものであってもダンピング防止税が発動されるようになった。また、それに呼応して学説上も、これらの措置を正当化するような競争条件平準化説と緩衝的制度説が主張された。東京ラウンドとウルグアイラウンドでは、このような米国等によるダンピング防止税の機能拡大が正当かどうか明確な結論が出なかったため、WTOダンピング防止税協定は、緩衝的制度説や競争条件平準化説の主張するダンピング防止税の機能を否定はしていないものの、積極的に是認したともいえない法的構造となっている。なお経済学の学説では、異常競争防止説から競争政策説への理論的変遷があり、ガット6条の成立時よりもさらにダンピング防止税の発動を厳しく制約する方向へ推移したが、現行制度を裏付ける理論的基盤とはなっていない。
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