いわゆる「古典的自由主義」が民主政と福祉国家を擁護する「現代自由主義」に変容する過程において、自由主義思想の内部で生じた多様な議論を分析し、またこれらの議論を近年の自由主義をめぐる論争と比較することによって、現代自由主義思想の意義とその脆弱性を評価する枠組の構築の可能性について検討し以下の知見を得た。19世紀末から20世紀初頭の時期は、認識論、道徳的志向、政治・社会制度の諸次元において、人間存在の共同体的契機が問題化された時期であった。これらの議論の諸次元は一括されて全体化され、認識論から社会制度に至る包括的な道徳的・政治的ヴィジョンとして主張されることが多く、これが異なるヴィジョンの相互比較の可能性を見えにくくしている。しかし実際には、これらの主張の諸次元を相対的に切り離すことは可能であり、適切な仕方で再構成されれば当時の多様な主張の中には、独特な思惟要素(たとえば独特な観念論的主張)と独立に評価・比較の可能な要素が多いことがわかった。また生産的な比較のためには、当時の、「自由」、「平等」、「社会」の定義をめぐる論争やこれらを用いた抽象的レベルの議論から一歩距離をとり、これらの議論によって主張される具体的な価値やニーズの次元に焦点を当てることが有用であることがわかった。このような議論の諸次元の相対的独立性と、抽象的概念の背後で主張される具体的な価値・ニーズの特定とその個別的検討の重要性は、近年類似のトピックをめぐって展開された「リベラル・コミュニタリアン論争」の推移の検討からも得られる知見であり、両者を通じた「共同体的価値」をめぐる通史的検討に高い有用性が存在することが明らかになった。
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