平成12年度における調査を通じて、ルネサンス期イングランドの宮廷作法書に関する、以下の事柄が明らかとなった。 16世紀から17世紀にかけての、当時の宮廷社会を中心とした一連の「作法書(courtesy book)」の翻訳、出版、回覧等の現象が見られた。人文主義者を中心とした、このような作法書の持続的な受容と流通によって、枢密顧問官をはじめとする、同時代の政治的アクター(ジェントルマン)に対する共通の行為規範が形成されたと考えられる。 以上のような作法書受容の傾向として、16世紀においてはとくに、カスティリオーネの『宮廷人』やデッラ・カーサの『ガラテーオ』、グアッツォの『洗練された交際』をはじめとするイタリア宮廷作法書の翻訳が顕著である。また、17世紀に入ると、デゥ・リュフージュの『宮廷論』やクールタンの『礼儀の規則』など、フランスの宮廷論に関心が移行したことが指摘できる。大陸の宮廷は、文化的な後進国であったイングランドにとって「文明」の模範であった。 また、内容面での特徴として、(1)人間の相互依存を前提とした「社会」の必要、(2)宮廷における「活動的生活(vita activa)」論の肯定、(3)「洗練された交際(civil conversation)」を通じた状況への順応と役割演技の必要性に対する認識が挙げられる。これらの議論は、伝統的な「観想的生活(vita contemplativa)」論や「徳(virtu)」論に対し、異質な他者と共存することの必要と、社会を自覚的に運営していくための実践的な技術を説いた点で、独自の政治思想史的な意義を有すると考えられる。 なお、以上の研究の途中経過は、平成12年5月の政治思想学会(於大東文化大学)および11月の九州大学政治研究会で公開報告された。
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