本年度は、まず始めに北海道立文書館所蔵の『住宅組合員名簿』、『住宅組合台帳』、『住宅組合原簿』の住宅組合関連簿書のデータベース化を行ない、北海道における住宅組合事業展開の趨勢を把握した。北海道における住宅組合の設立は、ほとんどが昭和恐慌以前に集中しており、それ以後の設立は大半が札幌市であった(札幌市以外の設立は室蘭市の1組合のみ)。設立数は130組合あり、うち半数の65組合が札幌、続いて小樽14組合、函館13組合、旭川9組合とつづき、ほかは1ないし4の設立数であった。 大正9年時点で人口10万人を超える都市は北海道に函館、小樽、札幌の3都市があった。そこで、本研究の初年度は、郊外住宅思考が顕著であり、現在でもそのエリアが住宅地として維持され、かつ当時の住宅が多く遺存する函館と小樽を対象に、住宅組合の事業展開を手がかりに郊外住宅地思想を抽出し、その開発について検討を加えた。なお住宅組合関連簿書には欠損があるため、函館地方法務局および札幌法務局小樽支局に赴き、土地および建物閉鎖登記簿と土地課税台帳を閲覧することにより不足分を補った。 函館市においては、東部地区とよばれる郊外に大正初年より住宅地開発が地元篤志家により行なわれ、大正10年大火もきっかけとなり、郊外居住がブームとなった。住宅組合はそれに呼応するように設立され、こういった郊外住宅地開発の比較的早い時期に住宅を建設していった。小樽市では、明治末の鉄道線路山側傾斜地への道路開削および宅地造成をきっかけに中流階級以上の郊外居住が始まり、大正末以降もさらに傾斜地の宅地造成が進み、新興の開発地へ住宅組合が一エリアに集中して住宅建設を行なっていた。 いずれの地区においても、住宅組合がその後の住宅地の進展において先駆的な役割を果たしたと考えられ、郊外住宅地形成の一翼を担っていたといえる。
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