今年度は、近代における日韓音楽交流史の一相として、1920年代の韓国における日本の童謡の普及運動に焦点を当て研究を進めた。このテーマは単に日韓音楽交流史の問題にとどまるものではなく、日韓の音楽教育史をひもとく上での問題としても重要である。全国大学音楽教育学会の第16回全国大会で口頭発表し、同学会2000年度紀要に掲載予定の論文「大正期童謡運動の国際的展開に関する一考察」においては、日本の大正時代に一世を風靡した童謡運動が、当時の朝鮮にも展開していた事実を示し、その経緯と実態について当時の新聞や文献に資料を求め明らかにしたものである。 童謡運動が、雑誌「赤い鳥」創刊に端を発し、その後「金の星」などの童謡雑誌の発刊へと派生していく中で、野口雨情ら童謡運動の推進者は、新たな音楽消費地として注目を集め始めていた朝鮮でも、新聞紙上に童謡論を相次いで掲載したり、本居長世の童謡公演を企画するなど、朝鮮人聴衆を視野に入れて積極的に童謡の普及運動を図っていた。彼らは日本の童謡が世界に通用する日本の代表的な音楽であると主張し、童謡を国際的に展開させようとする一端として、朝鮮で普及運動を行なったものの、実際には現地の音楽的土壌には根付かず、一過性のものに過ぎなかった。 目下、日韓の文化交流の機運が高まり、日韓相互の童謡の紹介も盛んになってきているが、大正時代の童謡運動のこうした実態をふまえた上で、日韓音楽交流史を見ていく必要があると思われる。 次年度はこうした基礎研究の蓄積を、古代から現代までの通史にまとめる予定である。
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