プラトン『エピノミス』は、偽作の可能性が指摘されるが故に正面から論じられる機会が少ない作品であるが、本研究は以下の事柄について新たな角度から検討を加え、論文にまとめた。 1. 真偽問題について:『エピノミス』はプラトンの他の作品には見られない文体および表現上の特異性を呈するが、それらを上回るプラトン的常套表現が本作品の骨格を形成していることもまた事実であった。それゆえ本作品を安易に偽作として退けるのではなく、むしろプラトン的背景を深く考慮しながら、散見される特異な文体表現が本作品の主題と如何なる関係を切り結ぶのか、この点を特に考察することが重要である。プラトンが数学的諸学科およびその学説を紹介する際に用いる意図的曖昧表現は、既に『メノン』『国家』以来一貫して看取されることに着目し、本作品の表現上の特異性もこのプラトン的傾向の中に十分位置づけられることを提案した。 2. 数学的世界像について:数学的諸学科を数論に還元し、数列によって構成される万物を結ぶ一本の鎖の存在を強調する本作品は、無理量の取り扱いを巡る『テアイテトス』以来の一連の議論の延長上に位置づけられることが可能であり、プラトン思想の内的展開と共約不可能性を巡る数学的議論の深化が互いに影響を及ぼしあいながらプラトン諸作品に反映されていることを論証した。 3. 哲学と数学の関係について:『国家』において哲学的問答法の「前奏曲」の位置に押し込められた数学的諸学科であったが、本作品においてはその学問的自立性が強調され、フィロソフォスのソフィアの内実を構成するのは数学的諸学科以外にはありえない点が明確に主張された。この主張の背景には、数学的諸学科が如何なる経緯でプラトン哲学の枠組みの中に導入されたのか、その発端の様相が投影されている。即ち、ピュタゴラス学派の哲学的枠組みとプラトン哲学の構造の相互関係について本作品を中心に鳥瞰することが可能であり、その次第を描出した。
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