本年度は、昨年度に引き続き、過去の身体の技法や加工術、養生術、美容術および古代から現代にいたる美をめぐる観念や美意識の変遷についての情報を集め、文献資料を購入し、データベース化を行った。また問題の道筋・枠組みについても、昨年度の認識に加えて、いくつかの方向性を模索し、検討中である。 今年度明らかにしたことは、次のようなことである。(1)人間は古来より、地域や時代が異なっても、普遍的に何らかの儀礼や祭祀を行ってきた。その際、顔や皮膚、髪などに特殊な化粧を施し、特別な衣装や付属品を纏い、日常的な身体を異形化し「虚構の身体」へと変容させてきた。(2)「ハレ=非日常」には「聖」への回路が開かれ、美はタナトス=死と背中合わせの非日常性の中にあるものとみなされていた。(3)古代ギリシアにおいては、男性の「裸体」に肉体美の理想があるとされ、装飾を剥ぎ取った真実、均整のとれた骨格と筋肉のなかに、美は体現されている。肉体は眼に見えない人格を具現しており、肉体と精神は表裏一体のものだからである。(3)キリスト教から離脱した西欧近代では、ヘレニズム的な身体観がいったんは復活したかに見えたが、デカルト的な心身二元論が支配的になるにつれ、人格と肉体は分離していく。古代医術に学びつつもそこから決別していった医学も同様である。人格や霊から切り離された身体は、医学の発展発農にとっても不可欠であったが、身体は外部から対象化できるものとなった。(4)その際、肉体的な事象は「女」に一元化され、男の身体は闇の中に葬られていく。 今後は、引き統き、(1)身体美がどのように描かれ、また観念されてきたか、(2)「美しい」とはどのようなことかを探求するが、さしあたって「顔」「人相」に注目したい。顔は人格の看板であり、表情美の基準(cg.「りりしさ」と「笑顔」)の考察から、表情と人間の魅力、品格、人格の関係を考え、心身二元論を超える身体美の可能性を示したいと考えている。
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