アメリカ合衆国では、20世紀初頭に庶民生活を題材にしたアシュキャン派のような絵画が生まれたけれども、概して美術家は文学者に比べて社会から隔絶された存在であった。しかも、感情抑制と勤労意欲を尊ぶヴィクトリアニズムの伝統もあって、国民自身も芸術から疎遠な面が多かった。しかし、1920年代の繁栄が大衆文化の花を開かせると、それまで"パリ巡礼"に出かけるのが常であった美術家たちにも、アメリカ独自の文化を見直す姿勢が生まれた。そして、1929年恐慌の勃発は、ヨーロッパ偏重の芸術的伝統とヴィクトリアニズムを根底から揺るがし、自己表現の機会を失った美術家たちは、生活苦から社会問題を意識せざるを得なくなった。 恐慌が深刻になり、ニューディール政策が推進されると、多くの美術家たちの間に、芸術は何らかの社会的目的を果たすべきであり、道徳的・精神的な寄与をするために、何らかの社会的メッセージを伝えるべきであるという意識が高揚した。そのためニューディール政策は、公共事業の一環として、公共芸術事業計画や連邦芸術計画などの美術プロジェクトを発足させることになり、美術家たちに作品の政策を委嘱し、彼らの生活をある程度保証する救済策をとることができた。ベン・シャーンは、このニューディール芸術計画・美術プロジェクトに参加して、恐慌で打ちひしがれた人々の生活を描いた代表的な美術家であった。株価暴落の半年前にパリから帰国したシャーンは、未曾有の不況とニューディール・美術プロジェクトを通して、アメリカを代表する社会派の美術家に成長したといっても過言ではない。 以上のように、本年度はアメリカ美術の変遷とニューディール芸術計画のアウトラインをつかむことができたので、次年度以降は、美術プロジェクトの詳細な内容と、それに参加したベン・シャーンの生活に研究を進めて行きたいと思う。
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