ドッペルゲンガーと映像の関係 二重という問題性が、映画メデイアの登場と共に引き起こされた再現=表象並びにミメシス概念の変化にどうかかわるのか、以下三点の契機が関わる現象を分析する。1.撮影という契機2.映写という契機3.主体と空間性の関わりの変化 分析された現象を以下のように整理した。 *人工『メトロポリス』を中心として似姿の人工性についての考察 ミメシス概念の変遷を身体像り現れに関してたどる(代用から模倣そしてメディアヘ)。その際、反復/二重化が精神分析的にも反省という理性活動的にも重要な文化発展の要素であることに注目。 *分身『プラークの大学生』を中心として鏡像、画像、映像---表象像の同一性についての考察 鏡像フーコーの表象批判を出発点として主体/客体問題を映画装置へと広げる。その際スクリーン、モーター機構が作り出す空間を魔術的意味空間とする。 *表象=再現の自動化『ゴーレム』を中心としてモノへの生命を考察 写真(物理的痕跡)からモノも自己表現する動画へ 魔術的分身としての物自体 *空間『カリガリ博士』を中心として映像における空間の意味について 接近というショットへの出現、接近の純粋視覚体験としての注目 遠近法の映画空間的捉え直しとして空間の意味の二重化を指摘 *まなざし『ノスフェラトゥ』を中心として視線分析、呪縛の力のつくる意味作用について 擬人化する映画空間をモンスターを解釈しつつ分析 見る/見られる-問題にまなざし分析を通して主体の二重化を見る。
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