本研究では、政治思想の観点からチベット間題を、中国とチベットのそれぞれの国民国家概念の衝突として捉えた。チベットを問題として採り上げるのは、誰なのか。それは、国民国家を形成しようとする両国家の対立というストーリーを作り上げる者である。ストーリーは、共同の記憶の具体的な国民的シンボルとして表現される。そのシンボルは、例えば中国にある多くの博物館や記念碑によって国民的一体感を形成させ、チベットにある多くの破壊された寺院や長大な叙事詩によって民族としての共感を保とうとする。このdichotomyの基本的な構造は、Kシュミットの言うFreund und Feindの論理を弁証するものといえよう。国民的一体感を形成するストーリーは、具体的なシンボルを介して権力構造を作り上げるのである。もちろん、権力構造の詳細な分析も報告の中で行うが、さらに重要なことは、この権力構造の下で表現する手段を持たない、あるいは喪失した人々へのまなざしである。西部開発という経済的なグローバリゼーションは、政治的・文化的グローバリゼーションに比較して対立をそれ程生じさせていない。開発は、その地域の伝統的ストーリーを崩壊させることは確かである。なぜなら、圧倒的な均質化された物質の侵入の前に、それまで存在した人々による物質と意味の一致したストーリーとしての重層的世界が瓦解するからである。本研究では、瓦解の後に散乱したアレゴリーの断片を拾い集めて、コンステラチオンとして描くことも課題であった。残念ながら、それは、今後の課題である。
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