近年、経営学における組織論の領域では、専門分化した機能をベースに柔軟なコラボレーションを可能にする組織のメカニズムが、「即興」という芸術上のパフォーマンスをメタファーとして提起され始めている。従来そのような組織の構造は日本的特質とは異質なものと見なされてきた。企業や共同体にみられる日本型組織の特徴は「集団主義(collectivism)」と定義され、そこではプロフェッショナルな成員相互の信頼関係に基づく柔軟な意志決定は困難であると指摘されてきた。ところが、日本古来の「能」という伝統芸能を担う集団は、高度に機能分化した組織構造の下で、異質な経験知=技能の統合を実現してきた組織である。本研究は、能において著しく分化した技能の統合を可能にしているコラボレーションの仕組みを明らかにすることにより、新たな組織形態のプロトタイプを示唆することを目的として実施した。 本研究では、文献レビュー、シテ方能楽師を対象としたインタビュー調査、稽古におけるコミュニケーションの分析などを行った。この結果、能の舞台において、要素的技能の組み合わせに多様性を維持しながら、即興的な変化に対応しつつ、固有の様式的な美を演出することを可能にしているものは、役籍間での最小有効多様性(requisite variety)を持った意志伝達のネットワークであるとの知見を得た。すなわち、舞台上における意思伝達の仕組みはネットワーク構造を持っているが、全てのプレーヤーが完全連結しているのではなく、連結の仕方は一定のルールの下に仕切られており、しかも、意思伝達が循環構造を持っているため、どのプレーヤーも状況に応じてリーダーシップを取り得る構造になっていることが示された。本研究では、これを「仕切られた(guided)ネットワーク上のコラボレーション」として概念化した。また、このような仕組みは設計されたものではなく、近代初期における座の崩壊に伴う危機を芸能集団が乗り越える過程で、進化的に生成したものであることを明らかにした。 以上の研究成果は、"Collaboration System in Japan's Traditional Theatre"と題して、2001年7月に開催されたEuropean Group for Organizational Studiesの第17回コロキウムで報告し、発表セッションにおけるベスト・ペーパーであるとの評価を得た。
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