研究課題/領域番号 |
12J00649
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研究機関 | 東京学芸大学 |
研究代表者 |
構 大樹 東京学芸大学, 連合学校教育学研究科, 特別研究員(DC1)
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キーワード | 宮沢賢治 / 文化研究 / メディア / 日本文学 |
研究概要 |
平成24年度は、主に昭和10年代における〈宮沢賢治〉像に関する言説資料を収集・検討することで、その受容の様態を明らかにすることを試みた。その結果、当該時期の受容は、その特徴から【追悼期】と【昂揚期】の2つに区分できることが明らかとなった。1.追悼期は昭和9~10年頃を指す。この時期、宮沢賢治の業績を、故人の"理想""生活"という観点から称揚する言説が、文壇のなかで生まれていた。しかもそうした言説は、生前の賢治とは親交のなかった文人からも発せられた。これは、文壇における文芸復興の機運が喚起した事態であった。つまり今日でも見られる、賢治の"理想""生活"を中心化する見方は、当時の文壇の関心が交差することで生起したという側面があったことになる。2.昭和13~20年にかけては、賢治評価の昂揚期と呼べる時期であった。追悼期に培われた評価が、具体性をもってより広範囲の人々に認知されていったためである。これは、松田甚次郎『土に叫ぶ』の出版を契機に、農村更正運動の圏内に賢治の価値が置かれたことに起因する。賢治評価の高まりは、一方では、総動員体制下において国民の心を動員することを企図した小冊子『詩歌翼賛』第2輯への「雨ニモマケズ」採録を促した。他方、篤農家としてイメージ化された賢治は、満洲移民団に向けた教育体系へも組み込まれていった。人々の模範としてしばしば扱われる賢治は、昂揚期における〈宮沢賢治〉をめぐる言説編成を経由して定着したのである。3.こうした研究の流れとは別に、本年度では現代的な賢治のイメージの質についても検討を加えた。2012年公開のアニメ映画『グスコープドリの伝記』を足がかりに、戦前から現在までの「グスコープドリの伝記」のメディアミックスの軌跡を跡づけながら、それらの差異を各時代の社会・文化状況から意味づけた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本年度の調査によって、1933年から1950年にかけての宮沢賢治に関連する資料を、想定の約7割収集し、データベース化した。また、研究実績の概要で記した成果は、児童文化、昭和期の日本文学を横断するものであることから、それぞれに相応しい対外的な場で、適宜発表した。昭和10年代の児童文化における〈宮沢賢治〉の位相についての論文は、編集の関係から2013年3月までに刊行されることはなかったが、「教育デザイン研究」第4号(査読あり)に掲載が決定している。したがって、達成度の区分を(2)とした。
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今後の研究の推進方策 |
今後、本年度の研究成果を踏まえながら、アジア太平洋戦争の終結以降の〈宮沢賢治〉像の変遷を、学校教育という領域を中心にして、社会・経済・政治的なコンテクストを考慮に入れながら跡づける。賢治のイメージは、学校教育に領有化されることで、長期にわたって人々の内面に浸透したと考えられる。他方、人々がいかにして賢治のイメージと関わっていたのかについて、1930年代より始まる賢治顕彰活動の伝播、1996年の賢治生誕100年祭に発生した"賢治ブーム"のあり様、2011年3月11に発生した東日本大震災を契機に希求された〈宮沢賢治〉の質、などをそれぞれ分析することで、より実際的な把握を試みる。
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