研究課題/領域番号 |
12J00649
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研究機関 | 東京学芸大学 |
研究代表者 |
構 大樹 東京学芸大学, 連合学校教育学研究科, 特別研究員(DC1)
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キーワード | 宮沢賢治 / 日本文学 / 文化研究 / メディア |
研究概要 |
本年度は、主に戦中期・GHQ占領期を中心に、〈宮沢賢治〉像の生成と受容の様態を明らかにすることを試みた。その結果、当該時期における〈宮沢賢治〉は、連続性と断絶をはらみながらも、混乱した時代状況に対して、弾力的に価値の再編成がはかられたことが浮上した。1, 戦中期において〈宮沢賢治〉は、彼の価値を具体化する資料(原稿・証言)の発掘と、さらには松田甚次郎を媒介とすることで、広範囲な人々に現在性をもって認識されるようになっていた。この頃、〈宮沢賢治〉は、民衆の国民としての模範像(="国民作家")としての価値の礎が築かれたのである。それは、一方では総動員体制下において、民衆の自発的な戦争協力を促すことを企図した小冊子『詩歌翼賛』第2輯への「雨ニモマケズ」採録に結び付くという現象をもたらした。他方、松田の言表行為によって篤農家として注目された〈宮沢賢治〉は、国策的に遂行された満洲への未成年送出事業における教育体系にも組み込まれることにもなった。満洲開拓青年義勇隊訓練本部編『国語下の巻』(冨山房、1943)には「雨ニモマケズ」が掲載された。当時、同テクストによって輪郭が縁取られていた〈宮沢賢治〉の、国民の範としての価値が、日本のみならず満洲にあっても、民衆をある方向に同質化させるに有効であると見なされたことがうかがえる。2, このような〈宮沢賢治〉の価値は、終戦をむかえたことで、その有効性を疑問視され、棄却される可能性が立ち現れた。しかし、むしろ賢治作品は戦後国定国語教科書にされることで、"国民作家"としての地盤をより固めることとなった。戦中・戦後の価値の連続性は、後者において〈宮沢賢治〉が再編成される際、従来の価値がいちど断片化され、戦時体験との隣接関係が棚上げされたところに戦後民主主義思想との重なりが補填されたことで、前者を忘却し後者を前景化した価値編成が進んだと考えられる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本年度の調査によって、1933年から1952年における宮沢賢治に関連する資料のうち、おおむね約9割を収集し、データベース化した。また、研究実績の概要で記した成果は、児童文化、昭和期の日本文学を横断するものであることから、それぞれに相応しい対外的な場で、適宜、口頭での発表、あるいは論文による公表をおこなった。よって達成度の区分を②とした。
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今後の研究の推進方策 |
今後、本年度の研究成果を踏まえながら、学校教育場を中心にして、〈宮沢賢治〉像の生成と受容の様態を、社会・経済・政治的なコンテクストを考慮に入れながら跡づける。賢治イメージは、学校教育場に領有化されることで、長期にわたって人々の内面に浸透したと考えられる。他方、領域横断的に看取される賢治受容について、1996年の賢治生誕100年祭に発生した"賢治ブーム"のあり様、2011年3月11に発生した東日本大震災を契機に希求された〈宮沢賢治〉の質、サブカルチャーと〈宮沢賢治〉の関係性などをそれぞれ分析することで、より実際的な把握を試みる。
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