研究課題/領域番号 |
12J01118
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研究機関 | 立命館大学 |
研究代表者 |
許 智香 立命館大学, 文学研究科, 特別研究員DC1
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キーワード | 翻訳 / 植民地と帝国 / 哲学 / 明治知識人 |
研究概要 |
平成24年採用以来、本研究者は「植民地期朝鮮における近代日本経由西洋哲学翻訳用語の受容過程に関する研究」を課題として学業に取り組んできた。まず、24年の前期においては、「哲学」という翻訳概念自体の翻訳およびその定着過程について研究し、論文として発表した。ここでは、思想の受容史について、思想家を中心にとらえるのではなく、概念自体の生成および流通過程に注目するため、西周の『百一新論』(1874年)以来、「哲学」が翻訳語として定着する過程、東京大学および帝国大学の学制編成、そして『哲学会雑誌』(1887年~)や『東洋学芸雑誌』(1881年~)における用語使用の実例などを通じて考察した。とくに、「哲学」という用語に関する当時知識人の学問的関心や疑問というのが、実際、用語の定着とともになくなっており、「「哲学」とは何か」という疑問を問わなくなる過程に注目した。つまり、「哲学」の場合、「フィロソフィー」という新たな概念を理解し、漢字語として翻訳しあげる時期を経ると、それは『哲学字彙』(井上哲次郎編、1881年)に概念語として登載され、もはや「哲学」という概念の意味を問わずさらに広く使用されていったのである。この研究は、当時日本の知識人によって精力的に作り上げられた概念の力関係を窺う前提として、西洋哲学用語をめぐる帝国日本と植民地朝鮮の関係における「概念」移動についての問題を考える際に、もっとも重要な基礎作業となった。 一方、24年の後期においては、以上のような概念をめぐる帝国と植民地の関係を一度考えるために、当時、明治期において哲学概念の翻訳および定着過程にかかわっていた井上円了(1858年~1919年)という人物を取り上げ、哲学者としてのかれの「朝鮮巡講」に注目し、そのイデオロギー性を思想史的に分析した(2013年03月31日に論文として提出)。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
「翻訳問題」全体をどのように考えれば良いのか、思想的アプローチに悩みながら作業しているため、成果を出しているほど自分なりの満足までは至っていない。「明治知識人」、「哲学」、「翻訳」をキーワードに膨大な史料と向き合わなければならないし、その際、西洋と日本の「学問的なやりとり関係」について、「翻訳」に対する明確な"問題意識"のもとで自分なりの論理を構築しなければならない。
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今後の研究の推進方策 |
できるだけ多くの史料を集めて読んでいくこと。当時の史料を読むと、西洋哲学のあらゆるものを、取捨選択の過程なしに受け入れたことがよくわかる。しかし、「だれが」「何を」「どこから」学んできたのか、という事実関係について語るだけでは、植民地朝鮮における日本経由哲学用語の問題が解けない。明治知識人による新しい用語の登場が、当時の社会の中でどのように運用されていったのか、という「現実の変化」に注目しなければならない。また、同じ用語が、明治日本の文脈と朝鮮の文脈によって相違的に使われる例に注目すること。これらを通じてつねに「翻訳の流動性」に注意すること。
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