研究課題/領域番号 |
12J01118
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研究機関 | 立命館大学 |
研究代表者 |
許 智香 立命館大学, 文学研究科, 特別研究員(DC1)
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研究期間 (年度) |
2012-04-01 – 2016-03-31
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キーワード | 大正期哲学 / 安倍能成 / 京城帝国大学 / 植民地経験 |
研究実績の概要 |
平成24年度および25年度の研究成果を踏まえ、26年10月よりは大正期に舞台を移し、安倍能成という人物を中心に植民地朝鮮における大正期哲学の受容問題について研究した。安倍能成という人物は、1926年より植民地朝鮮における最初の官立高等教育機関である京城帝国大学(予科は1924年より開講、本科は1926年より開講)に赴任する。かれはそこで「哲学、哲学史講座」(1927年4月より「哲学、哲学史第一講座」に変更)を担当する。本研究では、当時の京城帝国大学におけるアカデミズム哲学が、事実上、この「哲学、哲学史講座」を中心に形成したものであると判断し、その講座の性格を分析した。まず、安倍は本講座において、西洋哲学概説および西洋哲学史(古代哲学史、中世哲学史、近世哲学史)を講義した。その具体的な講義内容を、安倍が残した講義ノートからわかることができる。講義ノートは、かれが赴任した1926年から1936年までのものが残されており、ノートの表紙に書いてある日付によって講義内容が学期ごとに組まれていたことが窺われる。そして、1927年より「哲学、哲学史」の第一講座と第二講座に分離されることによって「哲学概説」に関する講義は、「哲学、哲学史第二講座」に移られ、安倍の妹婿である宮本和吉が担当するようになる。そして、安倍は27年からほとんど「西洋哲学史」について講義する。そのなかでもとくに、カント以後のドイツ哲学が取り上げられ、「ドイツ唯心論」「新カント学派」「ヘーゲル哲学」に関する講義が周期的に繰り返される形で行われた。 以上の、京城帝国大学の「哲学、哲学史講座」の編成および講義内容に関する考察から、大正期哲学の植民地経験について明らかにしようとした。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本研究全体の流れのなか、26年度の研究は、以前の明治期に繋がる意味をもつ。つまり、大正期哲学の植民地朝鮮への輸入という問題を取り上げる。ところが、このような視角から大正期哲学を扱った研究は全無である。大正期哲学は、日本の国内の問題として言われてきたのである。むろん時代的背景として日露戦争との関わりが指摘されてきたが、あくまで時代的背景としてであった。本研究者は、哲学という学問と植民地との関連性を積極的に照明しよとし、本研究はおおむね順調に進んでいるといえる。
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今後の研究の推進方策 |
今後の研究では、これまでの時代から少し前に遡り、哲学関連概念が翻訳された最初の場面に注目する。つまり、明治初期の西周(1829-1897)という人物を取り上げ、かれが残した概念翻訳に関するテキストを、さらに歴史的形式のなかで位置づけることを目的とする。その最初の対象は、かれが育英舎で行った講義を活字化した『百学連環』(1870年)である。本テキストは、これまで単に西洋哲学の移植として研究されてきた。しかし、どのような哲学であるのかがいわれないまま、なにかの移植であると断定するのは無意味である。今後の研究では、一方的な方向を想定する「移植」という問題設定を批判したうえで、本テキストを、近代学問の植民地性に注目し、西周において『百学連環』の講義が可能となった形式的性格を明らかにする。具体的にそれは、かれが「漢」をいかに批判しているのか、そしてその批判が既存の「字」をどのように再配列しているのか、という問題を証明する。
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