研究概要 |
当初、計画していた通り、英国図書館蔵敦煌チベット語文献IOL Tib J 1253の訳注を行った。この文書は敦煌が吐蕃支配下にあった時期に作成されたもので、吐谷渾人で組織された二つの千戸(新旧のカルツァチン千戸)の千戸長をめぐり、ある一族内で発生した争いを記録している。この文書はこれまで五人の研究者(F. W. Thomas, 山口瑞鳳, S. Coblin, 周偉洲, 陳践践)によって取り上げられてきたが、いずれも部分的な分析にとどまるか、あるいは吐蕃について研究が進展したことで、今日では訂正されるべき箇所が少なくない。申請者は、五人の研究を踏まえた上で、あらたな日本語訳注を作成した。と同時に、文中で問題となっている千戸がどういう過程を経て設置されたものか、また千戸長の任命が行われたかを、詳細に検討した。その結果、千戸設置は必ず宮廷ないし中央の大臣の主催する議会で決定されていたことを示した。また千戸長任命の過程で行われる推薦に、「吐谷渾王」とチベット中央から派遣されたと考えられる「吐谷渾の担当大臣」が関与していたこと、任命者は「デの大臣」であるが、その任命は中央の認可を得た上で行っていたことを示した。加えて、本文書から明らかにされた千戸長任命の過程を、吐蕃中央で行われた千戸長任命と比較することを試みた。その際、使用したのは現在もラサに残るショル碑文である。そして、両者から吐蕃の千戸長の特徴として、①千戸長は、ある人物の貢献に対する恩賞として与えられる②千戸長は世襲が保証され、実際に親子間で世襲されていた③有為な人材を得るために、千戸長の候補者は時として貢献を捧げた人物の子孫だけでなく、祖父の世代にまで遡って、その子孫も含むよう設定されたという三点を示した。
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