本年度の主な実績として、まずは平成25年度の「研究実績の概要」において触れた投稿論文「志士の妻が綴る哀悼と顕彰の物語―大橋巻子『夢路の日記』執筆の背景―」が、査読審査を経て改題の上で掲載されたことが挙げられる。(「大橋巻子『夢路の日記』執筆の背景―勤王志士像の創出をめぐって―」、『総合文化研究』第20巻第1号、日本大学商学部、2014年6月。)また、研究主題「憂国の文人と文芸」中の研究課題「売文と勤王活動―攘夷の志士の文事をめぐって―」について、以下のような成果を得た。 幕末の儒家藤森弘庵の詩集『春雨楼詩鈔』(嘉永7年〈安政元年〉刊)には、一部に削除を施された版本が存在する。これらは削除箇所の多寡によって二種類に分類され、望月茂氏による先行研究『藤森天山』(藤森天山先生顕彰会、1936年)では、林家の関与した検閲において時事を諷した箇所が段階的に削除された結果、複数の種類が生じたと推定されている。しかし、残存する諸本を検討すると、それぞれ検閲による削除が為されたもの(ア)と、その後明治初期に削除箇所を大部分修訂したもの(イ)として区別するのが妥当と考えられる。 この(ア)の成立に関わる検閲は、林家(昌平坂学問所)の主導のもとで遅くとも安政4年頃までには行われたと見られ、全481首中23首の詩と、例言や評語などの一部が、部分的または全体的に削除されている。削除対象となった詩は、多くが海外勢力の接近に関連した語句・表現を有しているが、中には対外情勢との関わりをかろうじて連想させる程度の例も存在する。そこから、この検閲は攘夷家として知られた弘庵の時局への影響力を強く警戒した結果行われたと考えられる。以上についてまとめた研究発表「藤森弘庵『春雨楼詩鈔』と幕末の出版検閲」を、日本近世文学会春季大会にて行う予定である(於東京藝術大学音楽学部、2015年5月31日)。
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