本研究は、認知科学において近年展開されている状況的認知観の哲学的基礎づけを目指す。状況的認知観は、人間が身体をもち、環境に埋め込まれているという事実が、人間の認知のあり方に影響を及ぼしていると見なすものであり、心の哲学や認知科学においてその理論的基盤とされてきたデカルト主義的な心の描像について再考を迫るという点で重要な役割を担っている。 第1年度は特に、以下二つの方向に即して「どこで心が終わり、残りの世界が始まるのか」という「心の境界」の問題を検討することを通して、状況的認知理論が基礎とすべき心の存在論的描像を探究した。 1.Andy Clarkらの<拡張した心>テーゼとその論証に対して批判を提起した。Clarkらは、心と身体的行為者の間の本質的な結びつきを正当に評価できていないためにその論証においてトリックを犯しており、また知覚を心への入力と見なす標準的知覚観に留まっている点で不徹底である。以上の成果は、二つの学会・研究会(京都大学哲学・西洋哲学史合同研究会、日本科学哲学会)で公表した他、国際ジャーナルに投稿する予定で論文として執筆中である0 2.AlvaNoeらの知覚に対する<エナクティヴ・アプローチ>を検討することを通して、デカルト主義に対する代案を成しうるような心の描像を提示する試みに着手した。<拡張した心>が依然として心を何らかの境界によって外界から隔てられる内的領域を見なしているのに対して、こうした理論は、知覚経験を心と世界の両者を包含するものと見なすことで「心の境界」の存在そのものを否定する、徹底して反デカルト主義的な心の描像(<境界なき心>)に帰着するという見通しが得られた。以上の成果は、二つの研究会(科研費研究「現代的な知覚研究のための哲学的基礎づけとその体系化」研究会、京都現代哲学コロキアム)で公表した他、国内学会誌に投稿する予定で論文として執筆中である。
|