平成26年度の研究目的は、ヘーゲルの「精神哲学」、とりわけ「人間学」を含む「主観的精神論」の体系的・発展史的意義を剔出しつつ、それが他のテクストや思想、とりわけ実践哲学との関連においてどのような意義を持つのかを整理することにあった。 従来のヘーゲル「主観的精神論」および「人間学」をめぐる研究は、一連の議論の過程がいかなる課題のもとに展開され、いかなるモチーフおよび意義を持つのかという点について、なおも不明瞭な点が少なくなかった。これに対して本研究は、(1)前年度に引き続き、「主観的精神論」の課題を「主観性」の生成の叙述であるととらえ、その議論を展開していく際のモチーフを「教養形成」の概念のうちに見てとった。(2)「主観性」の生成はまた、精神が自然に対して自分自身の世界すなわち「第二の自然」を定立するという観点からも説明されることができる。本発表はこの観点のもと、イエナ期の「人倫の体系」のうちに「主観的精神論」の原型があらかじめ孕まれており、なおかつそれがヘーゲルの体系的思考全体の形成にとっても不可欠な意義をもつことを指摘した。(3)教養形成や第二の自然の定立は単に精神にとってポジティブな結果をもたらすばかりではない。例えば労働の機械化という疎外的事態は、まさに労働の習慣があらかじめ孕む機械性がネガティブな形で顕わになったものである。 以上を振り返ると、本研究の意義は、ヘーゲル独自の「主観性」概念を体系的・発展史的に提示することにあったと言える。とはいえ、この意義はより広い思想史的知見からの比較検討によってのみ確証されうるものであろう。そのうえで、本年度においてはなお十分に果たせなかった実践哲学との関連づけ、および今日的観点からの批判に対する建設的応答の仕方が、改めて問われることになるであろう。
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