本研究の目的は、ベルクソン晩年の主著『道徳と宗教の二源泉』で論じられている共同体と感情の関係を考察し、ベルクソン哲学全体において『二源泉』が「感情と共同体の哲学」として独自性を有することを明らかにすることである。上記の目的達成のため、以下の二つを実施した。 1 ベルクソン『二源泉』における「閉じた社会」論の研究 本研究の主題の一つである「感情」が問題になることは、『二源泉』以前には見られず、それだけに注目すべきであるというのが、現在のベルクソン哲学研究における共通認識である。しかし、ベルクソンが道徳や宗教といった問題を論じる際に、なぜ「感情」に注目したのかについて十分な回答を与える研究はこれまで存在していない。そこで「感情」が論じられる前段階である「閉じた社会」論を検討することで、ベルクソンが「感情」を考察した必然性を明らかにすることを試みた。既存の「閉じた社会」論の多くは共同体における〈自〉と〈他〉との関係から責務について論じている。そこで、『二源泉』の前著である『創造的進化』で論じられた生命と個体の関係を踏まえることで、「閉じた社会」論の新しい解釈を展開できた。 2 ベルクソン『二源泉」の共時的研究一同時代の社会学や心理学との比較考察 近年の研究から、ベルクソンが『二源泉』において社会や宗教の問題を論じるにあたり、同時代の社会学者や心理学者の見解にかなり影響を受けていることが明らかになってきた。したがってベルクソン独自の主張を剔抉するためには、社会学者、心理学者との比較考察が必要である。そこで、ジャネの心理学、デュルケームの社会学と『二源泉』との比較考察を行なった。ジャネに関しては、特に神秘主義と精神疾患を比較考察する際に導きの糸となる有益な知見が得られた。デュルケームについては責務と権威ついて、ベルクソンの見解との対比を明確にできた。
|