2014年度は、(1)中村蘭林の学問における漢文・漢詩・和歌の役割をそれぞれ調査・分析し、口頭発表・論文投稿を行い、(2)山本北山の新出文献(書簡・文集)を調査した。なお中村蘭林は、寛政異学の禁の主導者の一人、柴野栗山の師であり、寛政異学の禁の前段階ともいえる近世中期半ばの江戸における学術・文芸の展開について理解する上で重要な人物である。また山本北山は、寛政異学の禁前後に、異学の禁には関与しない形で、江戸と秋田で儒学と漢詩文の世上への浸透に貢献した人物である。 (1)については、(ア)蘭林が室鳩巣の文芸観を継承したことと反朱子学の立場に転じなかったことを検証し、蘭林が必ずしも仁斎・徂徠学に依拠せず、むしろそれらと並行・競合する形で、朱子学者としての独自の立場から、古代中国の散文を学ぶことに意義を見出していた可能性を指摘し、また(イ)宝暦10年の時点の蘭林が、徳川将軍及び家臣団に、和歌の吟詠を媒介として、平安時代の天皇・公卿の徳行・学識から感化を受けさせながら儒学を学ばせ、家臣団には学力に応じた人材登用を課す提案を行っていたことを検証した。寛政異学の禁の前段階として位置づけられる文教政策立案の規範が、中国ではなく日本、しかも武家政治以前の朝廷に見出されていた点、また漢詩文ではなく和歌がその契機とされた点は特筆されるべきである。 (2)については、(ア)秋田県古文書館所蔵の書簡など史料約120点、並びに(イ)関西大学図書館所蔵の朝川善庵(編)『北山山本先生文集』巻五(写、端本)を調査した。 以上の調査研究を通して、寛政異学の禁と漢詩の詩風変化をそれぞれ〈思想〉と〈文学〉だけの問題として扱うのではなく、〈近世中期日本における文教振興〉という広い視座の内に位置づけるための基盤を少しずつではあるが築き上げることができたと考えている。
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