研究概要 |
本研究は認知意味論の手法を用いて,「着点動作主動詞」と呼ばれる一連の動詞および意味的に関連のある動詞の意味拡張を考察し,その拡張の方向性及び写像の実現可能性について研究するものである。着点動作主動詞は基本義の時,特定の価値判断と結び付かないが,意味拡張に伴い,〈不快な経験をする〉というネガティブな経験を表すようになるという興味深い拡張方向が観察される。例えば,「食う」は〈[攻撃などを]受ける〉という拡張義で使用される際は,「{拳骨/パンチ/不意打/暗撃}を食う」や「{叱言/小言}を食う」のように,ほとんどの例が被害性を帯びている。類似した拡張経路を辿る動詞としては,「(冤罪を)着る」「(被害を)被る」「(災いを)招く」「(反感を)買う」「(痛い目を)みる」などが挙げられる。本研究では主に以下のことに明らかにした。 1.コーパスのデータに基づいて,着点動作主動詞の基本義と拡張義を詳細に分析し,これらの動詞には〈自分の領域へのモノの移動〉からく不快な経験をする〉という拡張方向があることを明らかにした。 2.着点動作主動詞という枠組みに入っているにも関わらず,〈自分の領域へのモノの移動〉からく不快な経験をする〉へという意味拡張の方向性に従わない動詞の存在とその原因を明らかにしたことにより,意味拡張の方向性をより正確に予測することが可能であることを示した。 3.着点動作主動詞と意味的に類似した拡張方向をみせる補助動詞「てくる」に注目し,このような拡張方向を引き起こした認知的メカニズムを,社会心理学,神経心理学などの観点から明らかにした。 4.着点動作主動詞に見られる,今まで指摘されてこなかったこのような方向性は,果たして日本語特有の現象であるかどうか,その普遍性を確かめるために韓国語,中国語,英語などの言語の調査を行った。 本研究の成果としては,語彙の意味変化という記述的な側面,そしてメタファーの写像,概念化における身体性基盤,また言語変化の規則性といった理論的な側面に貢献できたのではないかと思われる。
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今後の研究の推進方策 |
韓国語,英語,中国語に対する調査から,着点動作主が〈不快な経験をする〉という意味へ拡張する割合は韓国語には69.6%(16/23),中国語には56.5%(13/23),英語には21.7%(5/23)という非常にばらつきのある結果が出た。これは何を意味するのか,なぜこのような違いが生じるのかについて,文化の側面を含めて,さらに多くの言語データで検証する必要がある。 また,中国語と韓国語において,着点動作主動詞の一部は意味変化がさらに進み,中国語においては受身標識,韓国語では受身の意味を表す接尾辞に文法化するという意味変化の方向性が観察された。中国語と韓国語のデータを中心に,着点動作主動詞と受身の関連性を探る必要がある。
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