河竹黙阿弥の研究を推進するために二つの研究をおこなった。 第一が三代目瀬川如皐作『東山桜荘子』の研究。如皐は黙阿弥に先立ち嘉永期の江戸歌舞伎を牽引した作者で、鶴屋南北の没後長らく活気を失っていた歌舞伎を盛り立てた功績がある。しかし黙阿弥の影に隠れ、如皐の作品研究が進展しているとは言い難い。そこで幕末歌舞伎と黙阿弥の研究を推進するために、如皐の代表作で、四代目市川小団次の出世作である『東山桜荘子』の翻刻と作品研究をおこなった。結果として、『東山桜荘子』は、題材(舌耕芸の脚色、合巻の脚色)・主人公の役柄(下層社会の描写)・演技演出(小団次の地芸への着目、責め場の残酷性、幽霊の表現)などの諸要素について、当時作風や芸風を模索していた黙阿弥と小団次へ大きな影響を及ぼしており、幕末歌舞伎の方向性を定めた作品であることを明らかにした。 第二が黙阿弥の明治期の作品『西南雲晴朝東風』の研究。前年に終結した西南戦争を題材とし、題材の話題性と西郷隆盛を演じた九代目市川団十郎の好演で大当たりした作である。団十郎の当たり役として語り継がれるうえ、歌舞伎が社会を描いていた時代の証しとしてしばしば言及される作品である。しかし台本が現存せず十分に研究されていなかったことから、黙阿弥研究の一環として作品研究をおこなった。結果、黙阿弥が錦絵と新聞に取材して前線の描写と人間ドラマが入り交じる物語を構成し、細部には独自の取材の成果がみられることを指摘した。特に人気を博したのが西洋花火を多用した戦場の描写で、当時歌舞伎が戦争報道の役割を果たしていたことを論じた。また、団十郎が好評であったのは犬をひいた山狩り姿であり、後世に受け継がれる日常姿の西郷が愛される土壌が本作から見られることを論じた。 以上、黙阿弥と同時代の作者の作品研究と、明治期の黙阿弥作品の研究を通じて、黙阿弥の業績をより広く位置付けることを目指した。
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