研究課題
研究の全体像としては、漢方における鬱の観念と治療法を社会・医療・患者の構造の中に位置づけることを狙った。より具体的には、1.漢方の精神医学領域における臨床テクニックが、当該時代の社会・文化概念とどのように交差するかを検討することによって、現代の漢方が唱える「鬱」は、近代医学的観念が混ざってできたものであることを明らかにし、2.近代以降の日本漢方が、中国および朝鮮半島における伝統医学の動向と結び付いて、近代化するに至った経緯を辿ることで、新しい鬱論と治療法の展開をより網羅的に理解することを目的とする。1.については、中国伝統医学において確立した鬱の病理論が、日本に導入された過程でどのように変遷したかを、独特の鯵治療を提唱した、江戸時代の和田東郭(1744~1803)を中心に考察した。元来は外因性の病であった欝が、江戸の社会的文化的文脈の中で、感情の状態など内因性の病として扱われるようになった全体的な傾向を指摘することができる。東郭の治験の中には、感情障碍としての諺が、当時の社会イデオロギー・文化的価値観と強く結びついている例も見つけることができる。2.については主に、「神経」システムの概念が浸透し、鬱に代わって神経衰弱が時代の病として大流行した明治から昭和初期を取り上げた。漢方医たちが、神経衰弱をいかに定義づけ治療したかを、漢方復興の担い手であった湯本求真(1876-1941)と、森道伯(1867~1931年)の治験から検討した。これまで病名として扱われてきた「鬱」概念は、「気血の鬱滞・鬱積が神経衰弱を含む諸々の疾病を引き起こす」というように、病因に変化した。それは、中国伝統医学から決別し、日本的な漢方を築こうとした江戸中期の革命派・吉益東洞の医学の再構築でもあると同時に、西洋医学に対抗する漢方病理学の再編成でもあり、その際に、鬱がキーの一つとして再利用されたと見ることができる。
1: 当初の計画以上に進展している
日本漢方にみる諺治療の近代化に関する検討に加えて、漢方の病理論において核になる「毒」の重要性についても、一考察をまとめることができたため。
1.心身症の一例として自家中毒を例にとり、20世紀前半の漢方医学で「自己」概念が成立する過程において、伝統的な「毒」の概念が重要な役割を担ったことを明らかにする。2.昭和初期の漢方が、中国および朝鮮の伝統医学の動向と、どのように相関していたかについて、日本漢方医と中国伝統医師の共同作業を取り上げ考察する。
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Culture, Medicine, and Psychiatry
巻: 37-1 ページ: 59-80