研究概要 |
本年度は,『原理の評釈』(Tantravarttika)及び『評釈補遺』(Tuptika)の中でクマーリラが特に「生きている限り人は祭式するべし」という教令(yavajjiva教令)の解釈をめぐって行なっている,解脱と関連付けての定期祭の意義付けを研究した。定期祭によって何が現実化するのかという問いには,ミーマーンサー学派では伝統的には「死後に天界に昇ることが現実化する」と答えられていた。またヴェーダの宗教においては本来,罪を犯した人を罪から浄めるのは定期祭ではなく,種々の贖罪であった。そして更に,解脱の思想はヴェーダ時代の後期に祭式を巡る思弁が深まっていくなかで誕生したものであって,解脱を志向する者も祭式を行うべきだという意見は既にヴェーダーンタ学派の根本綱要『ブラフマ・スートラ』の中に収録されており,クマーリラが言い出したことではない。クマーリラの独創性は,「生起しないこと」と「消滅すること」とを峻別して,当時有力であった「或る者たち」の見解を批判しながら,「罪の消滅が現実化すること」を祭式行為の直接の目的として据えることによって,定期祭の意義付けのなかにbhavana理論を組み込んだことにある。クマーリラは,「存在」ないし「現実化すること」(bhava)と「非存在」ないし「現実化しないこと」(abhava)とを峻別して,人間の行為の本質とは「現実化させる働き」(bhavana)であるから,存在に関わる活動のみが「行為」と呼ぶに値するのであり,非存在にかかずらってばかりいても「行為した」とは言えないのだと確信し,存在論と行為論とを緊密に連結したことにある。これによってクマーリラは,ブラフマニズムの制約のなかでではあるが,咎を受けるのを避けようとするばかりの事勿れ主義から訣別し,個人が自らの欠点を改めていくことを含めて積極的に生きることを提起したのである。
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