本研究の題目は「中国中世の道家・道教典籍の形成」である。研究の具体的対象として取り上げるのは、唐の皇帝玄宗の自著『道徳真経注』(『老子玄宗注』)である。本書を取りあげる理由の一は、古典籍の形成に政治性がしばしば関わって来るという、歴史上、少なからぬ事例を我々は知っており、これを諸文化の中において、それぞれに検証してゆくこと、及びその成果を積み重ねてゆくことが、我々の現今の課題である。そして『老子玄宗注』の研究は、政治的な事情が関与しつつ古典籍やその解釈が作成され、しかもその典籍(およびその解釈)が、一時代の標準的原典および解釈として受容されたという特別な事例である。『老子玄宗注』を取り上げる理由の二は、中国中世において、道家資料と道教資料との両方にまたがる領域を覆う資料として、それが適切なものであることである。すなわち、『老子玄宗注』は、中国中世の道家・道教の立場と国家権力ないし皇帝権力との絡み合いの中から、どのようにして典籍が形成されてきたのかについて、よくトレースすることが可能な資料なのである。 さて玄宗の『老子』注釈の意図は、玄宗という皇帝が、現実における支配者・統治者・政治的至高者であるみずからの立場を、永遠に確立することをはかり、現実の政治上のみならず、さらに理念面においても、すなわち宗教的な方面からも、至高の位置に到達せんことを意図してのものだったといえるが、これら点について、「妙本」という概念を中核において分析したのが本研究である。結論的には、「妙本」の提起は、玄宗のそうした意図を見事に体現したものであったが、一方またその、またその企図の挫折をもたらす概念でもあったことを論じた。
|