中国明代(1368〜1644)の後期には、通俗的な歌謡である各種「俗曲(小曲)」の流行現象が見られた。この現象は、明代末期における戯曲や小説などの俗文学の隆盛とも並行する興味深い現象である。 しかしながら、これらの歌謡は、明末に馮夢龍によって収集編纂された『掛枝児』『山歌』を除けば、単行の書物として残るものはほとんどなく、あとは当時の戯曲選集、白話小説、また当時の筆記(随筆)の類に、断片的に記録されるばかりである。これら各書に散見する歌をできうる限りすべて拾い集め(輯佚)、本文を校訂し、今日に残る明代のあらゆる俗曲についての信頼できる定本を作成せんとするのが本研究の目的である。 初年度にあたる本年、すでに百首あまりに及ぶ俗曲の本文、試訳、注釈をコンピューターに入力した。それらの中には、戯曲選集『玉谷新簧』に収められる「羅江怨」、妓楼の手引き書である『嫖賭機関』に収められる「西江月」をはじめ、従来誰も気づいていない新発見の資料も含まれている。 こうした俗曲資料については、中国の謝伯陽氏が編纂した『全明散曲』に収められているものが、現在では最も多いものであるが、本年の研究を通して、『全明散曲』には、遺漏、また複数の資料に互見する資料の処置など問題点が多く存することがわかり、本研究による『全明俗曲』の新たな意義を認識するに至った。
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