中国には恋愛文学がない、ないし貧弱である、とこれまで理解されてきた。しかしながら恋愛が文学という人間の営みのなかで重要な役割を果たしていることは、他の文化圏の文学を見れば一目瞭然であり、中国の文学のなかですら、民間の文学を見れば、他の諸国となんら変わるものではない。恋愛文学が不毛であるかに思われるのは、士大夫を享受者とする正統的文学のなかに限られたものであろう。それは士大夫の文学が儒家思想によって支配され、儒家の理念にそぐわない文学は排除された、ないしは合致するような文学に変型されて、今日までのこされてきたからだ。ならば中国古典文学の世界にも、その根底には恋愛文学が存在したのではないか。その痕跡を今日見られる文学作品を資料として探り出そうというのが、本研究のそもそもの意図である。 手がかりとして考察したのは、西欧ではalba、日本では「きぬぎぬ」と呼ばれる恋愛詩歌の一つの様式である。朝を迎える恋人たちが逢瀬の終わるのを嘆くという詩であるが、西欧にも日本にも共通してみられるモチーフに「鳥への憎悪」というものがある。鳥は朝を告げるゆえに恋人たちにとっては憎らしい存在であり、それゆえに殺してしまおう、あるいは憎らしい鳥が夜中のうちから鳴き出していじわるをする、といったものである。まったく同じモチーフが中国の楽府のなかにはっきりのこされている。楽府という民間の歌謡には世界共通の恋愛詩の様式が確かに存在するのである。それを文人の詩のなかに見てみると、閏怨詩とか悼亡詩とか、士大夫が唱うことを許された恋愛詩のなかに、albaのモチーフは変型しながらものこっていることがわかった。このことから士大夫の文学として秩序づけられる以前に、「母胎文学」とでも呼ぶべき、原型となる文学の存在を推測した。
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