本年は、『資治通鑑』を改編したテクストである「節要」「綱鑑」諸テクストの収集・複写を中心としつつ、そのかたわら、通鑑テクスト変容の中身とその背景の追究に努めた。挙がった成果は以下のごとくである。 1、従来、朱子の『資治通鑑綱目』は『資治通鑑』をダイジェストし、「綱」の部分に「王朝正統論」をはじめとする道義的主張を盛り込んだものだとされてきたが、『通鑑』と『綱目』のテクストを比較した結果、後者は「目」の部分にもかなりの増改を行っていることが判明した。この特徴は、ほぼ単純な縮約といってよい「節要」テクストと比較すると、いっそう明らかになる。 2.『綱目』と「節要」の違いは、上記の点の他にもある。前者が『資治通鑑』本来の特性である「編年体」を崩さぬように、極力記事を拾い上げようとするのに対し、後者には、「編年」に対する意識が弱いということである。縮約の過程で、年代が省かれたり、まちがって繋年されることが往々にしてあるのが、その端的な表れである。これは、後者の関心が時系列よりも、事件・話柄そのものに向けられているためであり、このことは一般の読者の需要に沿おうとした動きだと考えられる。 3.『資治通鑑』テクストの変容の歴史を考える上で、近世出版業の一大中心である福建建陽に明初に現れた劉〓という人物がキー・パーソンであることが分かった。彼が出版にかかわった「節要」テクストは、後世もっとも大きな影響力を有したが、さらに『綱目』の流布にも大きく関与した。また、彼は『十八史略』のテクスト改編者でもあった。彼やその仕事を受け継いだ建陽の出版業者たちが、史書の普及に果たした役割は極めて大きく、その存在を組み込んだ史学史の叙述が今後求められよう。
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