本研究では、語彙論的側面と、文献学的側面の両面から、漢文訓読文が文体形成に与えた影響の歴史的変遷について研究を進めた。 まず語彙論的側面からの研究として、金水は、「をり」の古代から近代までの変遷を追った。資料として、抄物、近世漢文訓読文、近代雑誌記事、小説等を用い、「をり(おる)」の分布を調べた。その結果、「をり(おる)」が多用される文体の背後に、「をり(おる)」を多用する話体(スピーチスタイル)が存在するという仮説が得られた。この話体は教養ある男性が主に使用するもので、古代・中世・近世の儒者・僧侶、近世の武士層、近代の男性知識層といった話者が想定される。 次に、文献学的側面として、金水は高山寺所蔵の『恵果和尚之碑文』の研究を進め、特に表紙の裏面に記された字書様抜き書きの原典について考察した。その結果、抜き書きされた語句の多くは『大日経疏』から採られている蓋然性が高いことが明らかになり、『恵果和尚之碑文』全体の性格に合致することが確認された。また、金剛寺所蔵『観無量寿経』の読解を進め、翻字本文、釈文、訳文を作成した。その結果、本文献が平安末期漢文訓読文の資料として、また観経の古訓点本として重要な価値を有することが判明した。一方朝倉は、禅林聯句の全容を解明するために、作品の収集・整理を継続したほか、聯句(漢句)の解読(訓読)と内容理解(抄物)の原点を探るために、大学図書館や禅院塔頭に出張し、調査の上、重要資料については写真撮影を敢行した。なお、『〔湯山聯句〕』と『成吠詩集』については、原本との照合を果たした。
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