研究概要 |
インド・チベット中観仏教思想のテキストに於ては、瑜伽行派との間での哲学上の決定的な相違として「空」の解釈に連動する無知覚(anupalabdhi)による否定(pratisedha)が「無」を確定し得るか否かが三性説の問題と相俟って論議されている。これは中観瑜伽行派の思想史上重要な問題である。チベット仏教ゲルク派の祖ツォンカパは『菩提道次第小論』でインド中観派のジュニャーナガルバの『二諦分別論』(SDK)9cd句「否定対象が実在するものではないから、明らかに真実からして否定は存在しない」に言及している。この問題点はジュニャーナガルバの自注等から知られる通り、元来存在しない増益された遍計所執性(所取能取)の無(否定)を瑜伽行派(SDP24b6)は真実そのもの(yang dog pa khona, SDV6a2)とするに対し中観派は真実そのものではなく真実に準ずるもの(yang dag pa dang mthung, SDK96)とする点にある。この点の解明がチベット仏教カダン派のチャパチョキセンゲの『東方自立中観三論書の干の薬』等から可能となった。 それは、否定が真実であるということは否定により肯定(他方の)が導かれ、一方の否定が確定し得る相対否定を意味し、それに対し否定が真実そのものではないとは、否定が確定し得ない単なる否定、絶対否定を支持している。これはダルマキールティの無を確定し得る、し得ないという二種の無知覚(an-upalabdhi)から知られ得る(cf PVIII100,SDP20b^2,25a^5)。さらにジュニャーナガルバはその自注(SDV ba3)でダルマキールティの「対象でないものを否定することはあり得ない」を根拠にその論議を決着させている。この点でシャーキャブッディの「遍計所執性(所取能取)の否定から依他起性である無二知なる自己認識の肯定を導き出す」いわゆる相対否定による論法は遍計されたものを否定する場合には適用し得ないという欠陥を有することになる。この点がジュニャーナガルバをはじめとする中観自立派により論難されている。
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