平成13年度から14年度にかけての2年間の研究で明らかになった事は、次の点である。1)ヘブライ語文法について、リシャール・シモンは、サアディア・ガオンに始まるキムヒ以前の伝統的なヘブライ語文法学者の存在を知っていたにもかかわらず、伝統的文法とキムヒ家の差異についてはほとんど実質的に知らない。つまり、スピノザのヘブライ語文法との比較においてそれは充分なグラウンドを持っていない。2)リシャール・シモンの、聖書形成の歴史に関する見方は、基本的にスピノザの議論への反論であり、そして、それは聖書本文批評の延長上にある。この点で、スピノザの視点とは異なる。つまり、スピノザは自然の立場から本文形成のプロセスを考えていたが、シモンは聖書に関する伝統の情報だけで考えた。その意味で、シモンの議論には革新的なアイデアはスピノザのそれに比べて乏しい。むしろ、聖書の物語の順序に関しては、伝統的なキリスト教の立場を反映して、失われたオリジナルの物語順序が最新の研究によって回復できると信じた。3)スピノザの革新的部分は、自然の中に啓示宗教の位置を確定する視点である。これは、当時の科学史の研究と関係がある。この点において、中世ユダヤ聖書注解者イブン・エズラとの比較は示唆に富んでいる。つまり、イブン・エズラにとって二つの可能性の間で逡巡する事が合理の証であったのに対して、スピノザはその二つの可能性を一つに絞り込ませるものが合理の働きであるとした。歴史批判の起源とされるスピノザとイブン・エズラの注解アプローチは、根底で一つではない。これら観察の歴史的意味は、イスラエル古典学の歴史の再構築の中で定められるべきものである。それについては、総括班報告書の中で、歴史再構築の3つのメルクマールとして論じたので参照されたい。
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