南宋の周必大(1127〜1209)による欧陽脩(1007〜72)の文集『歐陽文忠公集』編纂の過程を、特に必大が彼に先行する数種の欧陽脩『文集』になにを増補したかを中心に、検討した。主たる作業は周必大の文集『文忠公集』所収の書簡・題跋類の精査と解読である。『文忠公集』書簡からは必大によって『歐陽文忠公集』に「于役志」一巻・「河東奉使奏章」「河北奉使奏章」計四巻が新たに増補されたことが明らかになった。併せて必大の曾三異宛書簡から、刻工名と思われる「劉氏兄弟」の名を検出し、家塾で刊行されたとされる出版の実態をほぼ推定しえた。『文忠公集』題跋からはまず、『歐陽文忠公集』「集古録跋尾」中の前漢五銘文およびそれに付随する書簡が、必大の増補に係るものと、ほぼ推定しえた。ついで『歐陽文忠公集』書簡中の相当数が、必大の収集作業の成果であり、彼の増補に係ると論証しえた。以上によって周必大の編纂出版事業の一部を明らかにしえたとともに、彼の事業を郷紳的存在による社会的利益の追求の一環であり、国家ないしは国家機関による文化行政の一環としての出版事業と、民間における純然たる営利行為としてのそれの間に介在する第三の形態、地域社会におけるステータスの確立と維持とを視野に置いた士大夫による出版事業という、きわめて近世中国的な出版の形態を想定するうえでの手掛かりをえた。かかる士大夫のおける出版の意図を、国家におけるそれの縮小された相似形とみなすとき、士大夫の出版から国家の出版、ひいてはその文化行政の性格をも新たな視点から、逆照射することも可能である。
|