研究課題/領域番号 |
13021208
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研究機関 | 東北大学 |
研究代表者 |
熊本 崇 東北大学, 大学院・文学研究科, 教授 (00153354)
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研究分担者 |
須江 隆 日本大学, 生物資源科学部, 助教授 (90297797)
川合 安 東北大学, 大学院・文学研究科, 教授 (30195036)
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キーワード | 東洋史 / 官僚 / 士大夫 / 出版 / 欧陽修 / 讖緯思想 / 地理書 / 地方社会 |
研究概要 |
研究代表者熊本崇は、15年11月の資料調査の際、特に東洋文庫において、東北大学に所蔵されていない「明刊本」『欧陽文忠集』、清嘉慶24年(1819)刊『欧陽文忠公全集』をみる機会を得た。後者は乾隆11年(1746)「嗣孫」興安県教諭欧陽安世の校勘を経たテクストを嘉慶24年「裔孫」欧陽衡が重校し、刊行したものである。この『全集』には「累代校刊姓名」として宋元祐6年(1091)修の息欧陽発から始まり、紹煕5年(1194)、慶元2年(1196)の二次にわたる周必大等による校勘を経て、乾隆・嘉慶に至るまでの校勘の年次と校勘者の役職と氏名が網羅されている。注目すべきは明におけるそれであって、天順5年(1461)の郡太守程宗等2名に始まり、弘治4年(1491)の郡太守顧復、正徳7年(1512)の郡太守劉喬、嘉靖15年(1536)の郡司馬季本、同34年(1555)の行人司行人陳珊以下10名、同39年(1560)の江西撫都院何遷、萬歴元年(1573)の郡太守雷以仁に至るまで計7次の校勘が行われている。校勘がただちに出版を意味したかは微妙であるが、少なくとも15世紀半ば以後100年有余の間継続的にこの作業が廬陵において行われていたことは、認めうる。明代地方官の任地における出版の干預を検討する手掛りとなりえよう。 研究分担者川合安は、五代以前の禅譲革命を正当化した讖緯思想にかかわる書物や、それに対する王朝側の取り締り等について考察するための史資料を収集した。 研究分担者須江隆は、宋王朝の地理書(総志・方志)編纂事業について調査した。これは地理書編纂事業が、宋王朝の政策として、何を意図していたのか、地方社会の成熟とどのように関係していたのかを解明しようとするものである。
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