明末清初刊行の教派系宝巻を所蔵する中国社会科学院蔵呉曉鈴旧蔵教派系宝巻類、アメリカ・プリンストン大学蔵『仏説離山宝巻』・『仏説忠孝薬王宝巻』など、及び『護国佑民伏魔宝巻』『銷釈木人開山宝巻』などの個人所有宝巻を調査して『明清民間宗教経巻文献』に収められた同種の教派系宝巻と比較対照し、その提要をまとめてデータとした。とりわけ、清の康煕年間までは、無為教系の民間宗教に対して王朝は無干渉に近く、そのため、教派系宝巻は北京城中にあった仏教・道教の経典類を主に出版していたいくつかの専門経舗で信者によって自費出版されていた点が判明した。従来、明末の宝巻は内府司礼監で経厰本として出版されていたと言われていたが、太監らは宮中の皇妃や官女・外戚らの資金を通して民間に出版を依頼していたらしい。また、民間宗教の教祖も、教団を継承する際、神命を得たと称して宝巻を撰述し、それを北京城内に持ち込んで印刷していたと見られる。また、一見同じ版本と見なされがちな折本型の同名宝巻も仔細に対比すると書誌に差異がある点もわかった。宝巻の分析の一環として、『晋覆週流五十三参宝巻』の大要を訳出し、研究資料の充足を図った。教派系宝巻と同時代に刊行された戯曲・小説を含む明清刊本、或は、朝鮮本を多数所蔵していた豊後佐伯藩の毛利家蔵書目録のうち、幕府献納後に国元に残った書籍の目録である『以呂波分書目』も研究の過程で発見したので、これに分析を加え、共同研究の資料の一つとして翻印した。
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