中国周縁国は過去から現在まで中国医学を受容・消化し、自国固有の伝統医学を形成してきた。これまで実施した現存古医籍の調査分析により、およその形成過程と特徴が明らかになってきた。 日本・韓国とも初期は唐宋代医学全書の影響で、中国書から自国に適した部分を引用した臨床医学全書を編纂している。日本の『医心方』(984)、朝鮮の『医方類聚』(1477)などである。同時に固有の医薬も集成し、日本の『大同類聚方』(808)、朝鮮の『郷薬集成方』(1433)などが編纂された。中期は主に明代の臨床医書を引用しつつ、日本の『啓迪集』(1574)、朝鮮の『東医宝鑑』(1611)、ベトナムの『医宗心領』(1770)など自国化した医学全書が編纂される。かつ各国とも明代の各種医学全書を19世紀後半まで復刻し続けたが、そうした流行は中国にない。また漢字交じり自国語訳本も周縁国に共通する現象だった。 一方、日本だけに特異的な現象が見出された。すなわち中国医学古典と、それらの中国における研究書が日本では多数復刻されたが、朝鮮では1点、ベトナム・モンゴルにはひとつもなかった。また中国医学古典の日本における研究書が江戸時代だけで760種ほど現存するが、朝鮮におけるそうした研究書は1点のみ、ベトナム・モンゴルにはひとつもなかった。なぜ日本だけかくも中国医学古典を研究したのだろうか。 これは日本のみ島国という因子に由来しよう。つまり日本は中国との往来が極めて困難につき中国人から直接学べず、書物のみを師とし、難解な古典まで自ら研究した。かつ日本だけ中国との戦争や被支配の経験がなく、その強い影響を意識的に排して自国文化を強調する必要がなかった。それゆえ中国文化の深くまで親近感を持ち、古典を研究した。他方、朝鮮・ベトナムでは中国臨床医書は利用するが、臨床にあまり関係もない別国の古典研究などありえなかっただろう。他分野の漢籍でも類似現象が見出される可能性は高い。
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