江戸時代に、佐伯藩第八代藩主毛利高標が城中に創設した文庫にたくわえられた漢籍の一大コレクション、いわゆる佐伯文庫本は、そのほぼ半数が高標の孫の高翰の代に幕府に献上され、江戸城中の紅葉山文庫、ならびに昌平坂学問所・江戸医学館に分蔵された。この献上本は、明治維新以後いくたの変遷をへたが、今も独立法人国立公文書館附設の内閣文庫と宮内庁書陵部に、九割以上が遺されている。ところが、佐伯藩に残された非献上書の行方については、これまでよくわかっていなかった。 非献上本は、幕末まで手厚く保存されていたようだが、維新後散逸する。きっかけは、文部省が、各府県から旧藩襲蔵書の目録を提出させ、そこから「聚珍書目一覧表」を作ろうとしたことにあった。明治四年のことである。各府県はきそって旧藩の蔵書を集めて目録化し、文部省に提出した。誕生したばかりの後の国会図書館、当時の書籍館は、自らの和漢書不足をこのリストから採選することによって補おうと考え、さっそくそれを実行に移した。この結果、国会図書館には今なお3種の存疑本を含む24種の佐伯文庫本が遺されている。このおり大分県に留め置かれた佐伯文庫本もあったが、洋書5種をのぞき、それらは戦災で焼失した。また、書籍館による採選の後、県下ならびに毛利家に留め置かれた佐伯文庫本の多くは、売却処分に附されたらしい。そして、その多くを購入したのが方功恵であって、方功恵に購入された佐伯文庫本は、再度海を渡り、多くは中国に戻ることになった。現在中国国家図書館・北京大学図書館などに蔵されているものがそれである。今回報告書の第一分冊として作成した「佐伯文庫旧蔵曁現存書目録(漢籍之部)」は、佐伯文庫本の、現所蔵機関をも明らかにしたユニオンカタログであり、第二分冊として作成した「方功恵碧琳瑯館旧蔵書総合目録(第二稿)」は、方功恵旧蔵書のユニオンカタログである。
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