近年の日本近世史研究は、文書史料に加えて、書物をも組み入れて歴史を叙述できるレベルに到達している。しかしながら現状では、書物の内容までをも踏まえた研究は少ない。いうまでもなく書物には、思想性があり、よって政治性を持つ、書物の内容、思想分析を行い、思想性、政治性を明らかにするような研究を行う必要がある。そのレベルまで研究を引き上げることができて初めて、書物が思想形成、主体形成にどのような意義を持ったのかを解明することができるであろう。 このような問題意識から、私は、書物の思想、内容の分析を踏まえた「書物の思想史」を提起した、書物の受容の過程を思想形成の重要な契機として位置づけ、書物のなかでもとりわけ軍書、医薬・天文暦書に着目した、なぜなら、軍書、医薬・天文暦書は、領主層から被支配者民衆にまで広く流通していたジャンルであり、この考察により領主層から民衆までの広い層の教養形成、主体形成を視野にいれることができるからである。 具体的には、河内屋可正と安藤昌益の思想形成の過程を明らかにすることを通して、『太平記評判秘伝理尽砂』をはじめとした軍書が近世の政治常識形成に大きな役割を果たすとともに、こうした政治常識が近世人の思想形成を方向づけたことを明らかにした。一方、医薬・天文暦書は、人はどこからきて何をすべき存在かというコスモロジー的裏付けを提供することによって近世人の思想形成に大きな役割を果たしたが、同時に、コスモロジーの深みから政治秩序を正当化し補完する機能を果たしていたと結論づけた、安藤昌益が既成の政治常識に疑問を感じそれを乗り越えようとするとき、既成のコスモロジーを克服すべく新たなコスモロジー(自然真営道)を作らざるを得なかったのである。
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