平成13年度、14年度研究実績概要「王樵の著述出版活動」 清代における律解釈の淵源をたずねていくと、明の王樵、王肯堂父子の『大明律附例』に行き着く。これは、樵の註釈『読律私箋』を肯堂が増補したものであるから、清代の律学の出発点は、王樵の学問にあるわけである。本研究は、如上の関心から、王樵の著述出版活動を明らかにし、時代的な位置づけを試みたものである。 当時王樵は、経学者、特に尚書学者として著名であり、膨大な著作を残し、それらを続々と出版に付していった。彼の主著である『尚書日記』は、彼の改訂癖もあって、都合三つの版が存在し、それらが全て出版された。第一版は未見であるが、第二版は、書坊が翻刻したものが存在する。第三版は、少なくとも出版主体を異にする四つの版本が存在し、内二つは実見することが出来た。 このような彼の旺盛な出版活動は、彼が様々な手段で出版したからに他ならないが、書坊との密接な関係は特筆される。『読律私箋』は、当時南京官だった樵が、江西省南昌知府であった親属の王堯封に依頼して、その地の書坊彭燧に出版させたものである。彭燧は、その後彼の専属となり、『尚書日記』も出版する。また、彼の故郷金壇の書坊とのやりとりも、彼の残した書簡から詳しくわかり、当時の民間出版業者の具体的なあり方が、以上の事例からかなり判明した。更に、官衙による公的出版と比較することによって、それがかなり利便なものであることが理解された。 このように膨大な著作を、盛んに出版した彼の学問は、明代特有の自得の学ともいうべきもので、論理の流れを重視するものであった。これは、坊刻本の学問が、断片的な早分かりを重視しているのとは対照的であり、一見古めかしいその学問にも、時代の精神が込められていたのである。
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